公益財団法人 中近東文化センター|中近東の歴史的文化の研究と発表

ニュース

ニュース

HOME > ニュース一覧 > 今月の一品⑥銘文付焼成煉瓦

2015.09.04

今月の一品⑥銘文付焼成煉瓦

 文字の歴史の展示の片隅に、ケースを独占して置いてある煉瓦の破片です。煉瓦とはいうものの、見た目は大きめの粘土板と言った方がシックリ来るかもしれません。この煉瓦片は、1956(昭和31)年、三笠宮殿下がイラン・イラクをご旅行された折に、イラクの考古局長から贈られた記念品です。

 文字のコーナーに展示してある多くの粘土板の楔形文字がとても細かくて、文字の形や区分などがなかなか見分け難いのに対して、この煉瓦に記してある文字は、大ぶりで割に判別しやすいのが特徴です。ケース内に読み下した文が示してありますから、時間をかけて眺めれば、ある程度原文字との対応などを確かめることもできます。随分長ったらしく書かれていますが、要するにバビロニアのネブカドネザル王の名前が記されているのです。

 バビロニアという国は、紀元前19世紀から16世紀にかけてメソポタミアの地で栄えます。法典で有名なハムラビ王などが出ています。その後、いったん歴史の表舞台から消えるのですが、紀元前7世紀から6世紀にかけて再びメソポタミアの支配者になります。これが新バビロニアと呼ばれる国で、ネブカドネザルは、その2代目の王様です。新バビロニアの絶頂期を築きました。というよりも、バビロニアは、この王様の後は、あまり存在感を示すことも無く、やがてアケメネス朝ペルシアに滅ぼされてしまいます。

 ネブカドネザルという名前は、メソポタミアの歴史に何度か現れますが、他のネブカドネザルさんたちに比べて、この王様の知名度は圧倒的ですから、単にネブカドネザルと言えばこの王様のことです。知名度が高い理由は、あちこちに遠征して、バビロニアの版図を広げ、また、多くの建築を建てたということもありますが、それよりも、聖書に出てくる「バビロンの捕囚」をやったことで有名なのです。イスラエルに二度攻め込んで、敗れたユダヤ人をバビロニアに連れ去ったのです。聖書に出て来るので、何か特別なことのように思われがちですが、戦いに敗れた捕虜を奴隷などにするために連れ去ることは、古代の出来事としては、それほど珍しいことではありません。

 この煉瓦の縁の部分をよく見ると、細くて白い髭のようなものが煉瓦から生えているのが見えます。これは、この煉瓦片に含まれている塩分が浸みだして結晶化したものです。メソポタミアの土は、時代とともに土中の塩分が浮いてきて、そのために農作物ができなくなったと言われていますから、この『塩の髭』は、この煉瓦が本物のメソポタミア産であることの証明と言えるかも知れません。                         羊頭

ニュース一覧

PAGETOP