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2018.05.30

今月の一品(38)サーサーン朝ペルシアの銀貨

 博物館の入口から一番遠い奥まった所に、サーサーン朝ペルシアの1ドラクマ銀貨が、展示用ケース1つをまるまる占めて、24個並んでいます。博物館のコインの展示というのは、図柄が見え難い上に、似たような物がベタベタ置いてあるだけの単調なものになりがちで、あまり興味を惹かないのが通り相場です。この展示もご多分に漏れず地味ですが、歴史的には面白い存在なので、少しその意義をお話ししましょう。

 サーサーン朝ペルシアというのは、3世紀から7世紀まで続いた古代ペルシアの王朝で、ローマ帝国やビザンツ帝国と張り合った大帝国です。文化の面でも、優れた工芸技術で知られており、奈良正倉院の瑠璃椀に代表されるシルクロードの宝物には、この王朝からの渡来物が数多くあります。

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アラブサーサーン 裏
 
その王朝の王様たちは、表に自分の肖像、裏に国教であるゾロアスター教の拝火壇という一定のパターンに拠りながら、それぞれに独自デザインの硬貨を発行しました。ですから、各地にあるこの時代の記念碑などは、これらの硬貨に刻まれた王様の肖像と記念碑の肖像の顔立ちの特徴や冠を中心としたデザインを比較することによって、時代確定を行うことができると言われています。いくつかの肖像で特に目立つのが、冠についている丸い装飾です。コリュンボスと呼ばれる飾りで、最初は髪の毛を丸く結い上げたものだったそうですが、段々に変化して、単なる冠につける装飾となって行ったそうです。いくら王様の権威を示すためとはいっても、こんなヘアスタイルを日々維持するのは大変でしょうから、形式化していったことはよく解ります。

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フスラウ2世 表

 これらの銀貨は、かなりサイズが揃っていますが、それでも細かいバラツキは避けられません。ですから、使用するときには、一々重さを測って、価値を確認して使いました。ただ、いずれも純度が大変高かったため、絶大な信用があり、国際的な取引では、圧倒的にサーサーン朝の通貨が使われたそうです。その圧倒的な信用力を象徴するのが、右端中段に展示されているアラブ・サーサーン貨です。サーサーン朝ペルシアは、7世紀半ばにイスラム教勢力によって滅ぼされてしまうのですが、その征服者たちも、商売に関しては、サーサーン朝ペルシアの銀貨を続けて使用したそうです。それだけではなくて、それを真似したものを自分たちでも発行しました。

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フスラウ2世 裏
 
それがアラブ・サーサーン貨と呼ばれるもので、イスラム信者の作成した物でありながら、表に肖像画、裏に拝火壇というサーサーン貨の基本パターンをそのまま踏襲しています。すぐ隣の列の下段に置いてあるフスラウ2世の銀貨と比べると、その類似性が良く解ると思います。当時のイスラム教徒は、今のイスラム原理主義者よりもずっとずっと現実主義者だったようです。
平成30年5月 羊頭

 

 

 

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