HOME > ニュース一覧 > 今月の一品(50) ツタンカーメンを保護するアメン神
2019.05.28
博物館の玄関に立っている黒い彫刻の複製です。高い羽根飾りの冠を被った人(神様)が椅子に座っていて、膝の前に立つ、頭部や両腕の欠けた子供に慈しみの手を伸ばしています。後ろの椅子に座っているのがアメン神、前の子供がツタンカーメンです。
ツタンカーメンは、私たちにとっては、古代エジプトの王様の中で最も有名な一人ですが、1922年に、そのお墓が多くの財宝とともに発見されるまでは、その存在は殆ど知られていませんでした。父親のアクエンアテン王がアメン神中心の宗教体系をアテン神中心のものに改め、テーベからアマルナに首都を移転させるなど、あまりにも急激に改革を進めたため異端者扱いされ、その余波を被って、父親もろともその名前を正規の王名表から削除されてしまったからです。その存在否定の一つの表れが、この彫刻の子供の頭などが破壊されていることです。この像の原物は、ルーブル美術館の所有で、フランスの考古学者マリエッタが1857年にカルナックのアメン大神殿で発掘したと記録されていますが、見つかった時からこのように破壊されていました。
この破壊が意図的に行われたことは、アメン神の背後に刻まれている碑文の有様からもうかがえます。ツタンカーメンという名前(正確には、「トゥト・アンク・アメン」で、「アメン神に生き写し」という意味だそうです)」には、アメン神の名が入っているのですが、この背面の王名は、「アメン」の部分を残して削り取られています。神様の名前を削ることは畏れ多いので、そこだけ残されたということのようです。ですから、他に手掛かりが無ければ、この子供が誰であるか、推測はできても、正確には解らなかったのですが、幸いにも、破壊者は、この子供の像の着物の右側の裾の方に、トゥト・アンク・アメンと読める文字が刻まれているのを見落としてしまいました。その結果、この像がツタンカーメンであると判定できることになりました。
このツタンカーメン像は、左肩からヒョウ柄の毛皮を羽織り、ベルトの結び目には、その頭部と思われる飾りを付けて、サンダル履きで立っています。この装いは、アメン神に仕える神官の姿で、王が神官の長であることを表しているとされています。ルーブルの説明では、一旦はアクエンアテン王によって排除されたアメン神がツタンカーメンによって復活されたことを象徴するために、勝ち誇った大きなアメン神の保護を受ける小さいツタンカーメン王を表したとされていますが、神様が大きく表現されるのはよくあることなので、少し考え過ぎのようにも感じられます。因みに、アテン神の顔立ちは、毀されてしまったツタンカーメンの顔立ちと同じに作られているということですから、どちらがどちらのモデルなのか、妙に混乱させられます。
令和元年5月 羊頭
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